10年後の自分

20時ぐらいまで大学でプログラミングの課題をやり、帰宅。
帰宅して、片付けをして、晩飯を作り、テレビもPCも付けず、ボーッとプログラミングで上手くいかなかった部分の解決策を考えつつ壁を見ながら一人で食事。
食事を終え、食器を洗い、洗濯物を畳む。


洗濯物を畳みながら、ふと、10年後も今日と変わらないような生活をしていそうだな、って考えが頭をよぎった。嫌な予感と良い予感はあまり当たらないが、どうでも良い予想は、当たらなくもない。


毎日健康で(今は風邪薬飲んでるけど)、やることもそれなりにある。大学生活は楽しい。


今自分が毎日何のために頑張ってるのだろうと考えると、頑張る源は、自分の意思で書いた移植の同意書。まさに、自分で生きたいという意志を形にしたもの。その意志を裏切らない、後悔しないという意地みたいなものだと思う。


人の意志や心というのは、案外弱い。少しでも隙が出来ればあっという間に崩れてしまう。


自分のこの意地が、ある日突然あっけなく折れてしまうような気がしてならない。今日明日ではないだろうが、いずれ月日が経てば、この意地も弱くなり、折れる日が来るだろう。そのとき、自分の中に代りとなる新たな意地が生まれているだろうか。


10年後、自分は今日の日と、やってることは違えど、ふと、静かな部屋で、自分で作った料理を目の前に、自分の洗濯物を畳んでいる最中に、心に隙が生まれてしまうのではないだろうか。


杞憂なのか、一種の予知なのか、単なる妄想なのか。まぁ10年後分かることか。