謎の停電

世田谷からこんにちは。どうも、富良野くまりんです。祖父の葬式が終わったので東京に戻ってきました。


幸運なことに親戚は皆元気な人ばかりだったので、この年になるまで通夜や葬式に出たことがありませんでした。祖父には失礼かもしれませんが、近親と言うこともあり一般参列者よりも役割が多いので、面白い経験ができました。おかげで、他の人の葬式に参列するようなときにでも恥をかくようなこともないでしょう。


納棺や通夜、葬式、火葬に立会って納骨までと一通りのことをやりましたが、遺体って葬式が終わるまで火葬されないんですね。知りませんでした。曾祖母はまだ土葬が許される時代だったこということもあり「火葬は暑そうだから土葬にしてくれ」なんていう遺言を残したなんていう話があるのですが、冬になるとまさに農家(祖父は農家です)というようなジャンバーを常に羽織って家にいた様子を見ていた自分にとっては、ドライアイスでガチガチに冷やして置かれている方が可哀想に思えてなりませんでした。


祖父の顔を見ると、綺麗に塗られていて、ここ何年間で一番顔の色がよいように思えました。しかも、表情はまるで仏様のように微笑んでいるんですよね。流石に微笑みながら死ぬことなんて考えられないので、そのように表情を整えたのでしょう。プロの仕事には感心します。ただ、記憶の中での祖父の笑顔というのは、それこそチンパンジーのように顔全体をしわくちゃにして笑う顔なので、この顔を見た瞬間に、あー、仏様になっちゃったんだなぁ、って実感しました。


式の方は特に何もありませんでした。読経って何語なんだろうなぁ、とか、萌えるお寺も出てきたことだし、萌えるお経や萌える仏壇、萌えるお坊さんも出てきて、萌えるお葬式がそろそろ出てきても良いはず。そんな式を行ったところで死ぬときまで恥をさらすことになるけど、なんて考えていました。


式もあっという間に終わって、祖父の遺体を火葬場に運んで、火葬をして納骨。運んできた棺が炉の中に入っていき稼働を示すランプが点灯した瞬間に寂しさを感じました。少しすると機械の動作音も僅かに聞こえてきて、人の遺体が焼かれている怖さや、人が焼かれているのにも関わらず機械の無機質な感じがする切なさ、七夕飾りを燃やすことにより天に願いが届くように、やっと祖父も天国に行くことが出来るなと思う喜びなど、複雑に感情が交ざり合い何とも言えない気持ちになりました。


骨壺への納骨が終わり、その後、墓へ納骨。これまでは会ったこともない人に手を合わせていましたが、これからはよく知る人に手を合わせることが出来ます。しばしば、先祖を敬うなんては言いますが、実感できるのは自分が知っている人がお墓に入って初めて実感できるんじゃないでしょうか。今までは、親が手を合わせていたから手を合わせるという感じでしたが、今の自分なら自ら手を合わせようという気になります。まぁ、こうやって家系ってのは繋がっていくんでしょうね。


最後に線香を供えて、葬式やそれに伴う行事は終わりました。


明けて翌日。本当は始発で学校に戻り、10:30頃に大学に到着する予定だったのですが事件が起こりました。突然の停電です。


停電と言っても、普通は配電盤の各部屋のブレーカーが落ちる程度で、すぐに復旧は可能です。ところが、今回落ちたブレーカーは、配電盤(多くの家は台所に設置してある?)のブレーカーではなく、電気メーターのすぐ下にある電力会社の人以外は触ってはいけない(鍵が掛かっており触れない)部分のブレーカーなんです。早朝5時はまだまだ真っ暗で色々大変ですし、そもそも電気がないので何も出来ません。


停電が回復したのは電車の出発10分前。とてもじゃないけど電車に乗れません。結局、後の電車で行く羽目に。確かに停電が起きる直前は、朝食の準備や暖房で電気を大量に使っていましたが、普通は配電盤のブレーカーが落ちるはずであり、大本のブレーカーが落ちることはありません。そうなると漏電も疑わなければいけませんが、原因を調べるのは親や業者に任せることにしましょう。


ただ、昨日葬式があって、孫の一人が葬式の翌日には東京に戻っちゃうというのだから、少しでも長く近くにいて欲しいとか祖父が思ってイタズラでもしたのかな、と考えるのは夢があっていいかなとも思います。