祖父が他界した

福島からこんばんは。どうも富良野くまりんです。


タイトルの通り祖父が他界しました。連絡を知らされたのは昨日の昼過ぎ。大学の片付けなければいけない用事が沢山あったので、帰省は今日になってしまいました。


祖父の体調が崩れたのは、今年の6月頃。意識を失って倒れているのを発見されて救急車で運ばれました。その時は医師から「もって1週間」などと言われたのですが、見事に意識を取り戻しました。その時見舞いに行ったときには、それなりに元気そうだったのですが、退院後は病院と自宅を行き来する生活で、先日、また意識を失って倒れたらしいのですが、結局意識を取り戻すことはなく、亡くなってしまったそうです。


体調があまり良くないというのは聞いていたので寝耳に水って程でもなかったし、外孫のせいかお爺ちゃん子って感じでもない。自分自身が死と見つめ合うような体験をしたこともあってか、かなり冷静に報せを受け取りました。


長い間入院していると、治すことが出来ない病を持った人を見ることも時々あるわけで、そういう人の中には二つのタイプがいるんですよね。一つは何とかしてでも生きてやろうと思っている人と、もう一つは半ばあきらめか医師に言われた処置を淡々と受ける人。体調の良い悪いじゃなくて、医者に対する質問方法というか、家族との会話というか、生きてやろうという気合いみたいなのがある人と無くなりかけている人が居るんですよね。


長期入院とはいえ定期的に家に帰ることが出来るのですが、前者のタイプはいつの間にか病院で見かけなくなる期間があったと思えば、ある日突然病院に戻ってくるんです。一方後者の方は、見かけなくなるとそのまま病院に戻ってこないなんていうことが多いです。医師や看護師は他の患者さんの体調や治療については殆ど教えてくれないので、来なくなった患者さんがどうなったのかは分かりませんが、患者間の噂で「急に体調が崩れたからICUに運ばれたらしい」なんていう話を聞いた上で、その患者さんが帰ってこないと何となくその人がどうなったかが予想できちゃうんですよね。


で、祖父の話に戻るのですが、今年の夏休みに祖父に会ったときに、何となく先ほど例を挙げた後者の人のオーラを感じたんですよね。祖父が弱音を吐いているのは、あの時初めて見ましたし。
その時は、体調が悪かったし、痴呆が始まったせいか人の名前が思い出せないことに祖父がショックを受けていたので、そのせいで一時的に生きる気合いを失っているだけかなと思っていたのですが・・・。


ただ、考えようによっては「もって1週間」って言われてから5ヶ月は生きていた訳だし、残った気合いを出し切って今まで生きていたと思えば、やっぱり弱音を吐きながらも頑張ったんだろうなぁなんて思います。


中学校の頃、戦争の話をモチーフにした劇を作ることになり、祖父のシベリア抑留の経験を聴きに行ったことがありました。約3時間ぐらい話を聞いたのですが、結構しっかり覚えていたんですよね。祖父の年齢が87歳。戦争が終わったのが1945年なので、戦争が終わった時点で23歳。今の自分が22歳なので殆ど同じ。その年でシベリアに何年も抑留されていた訳ですから、一体何を考えていたんだろう。中学校の頃の自分は23歳の物の見方、考え方なんて分かりませんでしたから、中学生なりに聞いたことを処理して自分の中に入れましたが、今の自分が聞いたら、祖父が戦争を経験した年代と同世代になった自分なら、中学生だった頃の自分とは、また違う形で自分の中に取り入れることが出来たんじゃないかななんて今更感じています。



人の死って何なんだろうな。自分の身の回りに起きた全てのことは無駄なことなんて一つもない、無駄になるかどうかは自分の行動次第、って心情で日々を生きることにしてますが、人の死と直面したとき自分がどう行動することが一番なんだろうか。何を学ぶことが出来るんだろうか。死というのはマイナスの面が強いものなのは間違いないだろうけど、それを自分の中でどう処理して自分のものにすれば、死んだ人も自分にとってもプラスになるんだろう。


多分一つの答えなんてないだろうけど、そんなことを祖父の死から考えるのでした。


では。