思い出したことを書いてみる

以前、この日記にコメントをくださったid:connollyさんが無事骨髄移植を終えて、無菌室から一般病棟に移動されたそうです。おめでとうございます。

無菌室からの解放 - 更年期オタの白血病日記

鎮痛剤としてモルヒネを使ったってことは、結構酷いGVHDの症状が出たみたいですね。私の場合、高熱こそ他の人より酷かったらしいですが、痛みはなかったのでモルヒネを使うようなことはありませんでした。

移植後の「だるさ」を経験者以外の人に説明するのは難しいですが、インフルエンザで40度を出したときのだるさの100倍ぐらいだるいって言えば分かっていただけるでしょうか。それに加えて下痢や口内炎の症状が出るので結構辛いです。それに加えてモルヒネを使うような痛みが出たというのだから、さぞかし大変だったことでしょう。


GVHD口内炎ってのは結構辛いんですよね。同じ病棟に入院していた人は、あまりに口内炎が酷いため水すら飲めない状況になりましたからね。まあ、水すら飲めないってのは一番酷いレベルの状態ですし、私も底まで酷くは成りませんでしたが、ずーっと軽度な口内炎が続いている状態で、移植から1年経った今でもカレーは甘口、ミント味な歯磨き粉はNo Thank youって感じですからねぇ。


移植後の下痢ってのも中々凄いんでえすよ。医師曰く、GVHDが原因だか放射線治療が原因だかは(どちらも原因になりうるので)分からないとのことですが、内臓の内壁がはがれるので白緑色っぽいゼリー状の半固形物が出てくるんです。あれはビックリしますね。それが酷いときには少量ずつ1日7〜8回ぐらい。死ぬほど動きたくないのにトイレに行きたいというのは本当にしんどかったなぁ。最悪、成人用紙おむつという選択肢もあるらしいのですが、担当する看護婦さんの大半が自分と大した年齢差が無いんだもん。流石に出来ないッスよ・・・。死ぬほど辛いと表記して差し障りない体調なのに羞恥心が勝るというのは、まさに気合い以外の何物でもないですね。


それから食事。まあこれは一般病棟に移ってからの話ですし、この日記でも何度か書きましたが、塩味が無くなったショックはかなりありました。

移植が終わってからってのは辛い日々ですが、少しずつですが本当に自分でも分かるぐらい日に日に体調が回復していきます。初めの頃は何も食べたくないのですが、一般病棟に移り、他の人が食事するのをみると、なんとなく何か食べたくなるんです。私の場合、お腹を慣らす目的もかねてウイダーinゼリーでしたが、なんとなく味が変なんですよ。

そんなのが何日か続いて、ふとテレビで美味しいラーメン特集なんてのを見ちゃうとラーメンが食いたくなるんです。そうすると入院の友、カップラーメンを食べるんです。ただ塩味が感じられないので正直美味しくない。日本の有名メーカーのカップラーメンがあそこまで美味しく感じられないというのは、あれが最初でした。

栄養剤の点滴というのは長期間の利用は体にあまり良くないらしく、ある程度食事が取れるようになると栄養剤の点滴が無くなります。多少無理すれば食事を取れるけど、味覚がおかしくなっているせいもあり少量しか食べたくない。そんな日がずっと続くので、この時期にどんどん体重が減っていきます。栄養剤の凄さに気づいたのはこの頃でしたっけ。(まぁ、冷静になると食事も取らずに何日も生きているんだから気付けって気もしますが、そこまで気が回りません)

そんなある日、突然味覚が戻るんです。この日の日記によると4月5日に味覚が戻ったみたいです。詳しいことは、この日記の通りですが、この衝撃は凄かったなぁ。


まあ、一番の衝撃というか、一番嬉しかったのは移植後の骨髄穿刺検査の結果で白血病細胞が無くなったって言う検査結果を聞いたときですかね。検査結果を聞いてすぐに涙が出てきたのは、医師から自分が白血病であることを知らされたときと、このときだけです。(後々で一人きりになって泣いたことは何度かあったけど)



とりあえず色々思い出したことをつらつらと書いてみましたが、会ったことがないとはいえ自分の知っている人の移植の成功ってのは嬉しいです。移植後もアスペルギルスなど色々大変なことがありますが頑張って欲しいです。まぁ、自分ももうしばらくの間は病院に定期的に通わなきゃいけない状態ですしGVHDも完全に収まったわけではないので、まだまだ頑張らないといけないわけですが。


それじゃ!