特に書くことがないので放射線治療について書きます

都内のアパートからこんにちは。どうもwild-manです。今日はどこかに出かけようと思っただけで、結局出かけず家に一日中いたので書くこともないので、骨髄移植の前に行った放射線治療について書きたいと思います。多分書いたことはなかったと思うんで。


骨髄移植の詳しい説明は過去の日記の「なぜなに骨髄移植(前編)」と「なぜなに骨髄移植(後編)」に書いてあるんで、目を通していただければ大体分かると思います。今日書くことは、なぜなに骨髄移植では書いていない内容も含まれるので、骨髄移植について調べている人にとっても参考になる部分もあるかもしれません。


放射線治療は移植前の体内に残っている白血球と白血病細胞を限りなく少なくし、骨髄を空っぽにすることを目的としています。提供される正常な骨髄液から見れば、残っている白血球や白血病細胞は敵であり、いずれは戦わなくてはならない相手。私自身から見ても白血病細胞には消えて欲しい、しかし移植の点から見るとマイ白血球がドナー白血球と戦ってしまう、マイ白血球は白血病細胞を見方だと思いこんでいるから厄介、普段はなくてはならない存在だけど今回だけは邪魔、ってなことだと私は思っています。


色々堅苦しい説明もありますが、要はドナーさんから提供してもらった白血球と造血幹細胞を使って、まともに血を作ることが出来なくなった工場をぶっ潰してもらって新しい工場を作ってもらい、体内に残る白血球細胞という出来損ないをフルボッコにしてもらうのが骨髄移植です。間違った意味も含みますが放射線治療は提供してもらう白血球や造血幹細胞が移植者をフルボッコしやすいように、先に死なない程度に弱らせておく的なものです。(あくまでフルボッコにしたいのは造血幹細胞や白血球、白血病細胞であり、患者の体調はむしろ健康の方が良いです)


移植の直前に行われました。私の場合、朝と夕方に1時間(45分だったかもしれない)ずつ、3日間、計12グレイの放射線を照射され、1日おいて移植って感じでした。放射線照射はベッドに仰向けに横になり、朝は左側から、夕方は右側からって感じで全身満遍なく照射されます。ベッドは肩幅と同じぐらいの幅で片側が壁に密着されており、もう片方は放射線が脳や肺などの特に重要な場所に照射されすぎないように調節する鉛のブロックが設置されていて殆ど身動きがとれません。まぁ、医師からは「放射線を的確に照射するため、照射中は出来る限り動かないで」とは言われていましたが、無理に動こうとするか起き上がらない限り、治療に影響するほど体を動かすのは難しそうって印象でした。


放射線を照射するための部屋は病院の地下にあり、部屋自体が少し廊下を行った一番端に設置されていました。まぁ、放射線の照射装置のおかげで治すことが出来る病気も増えましたが危険な物を扱う機械、ホント病院の一番奥に設置されているって感じでした。装置は東芝製。骨髄移植という大きいイベントを控えていてもそういうところに自然と目が行ってしまうのは工学系人間特有の性質ですね。


部屋へは車イスで看護師やヘルパーさん付き添いで行きました。初日は「点滴をしているとはいえ、シャンシャン歩けるのにどうして車イス?」と思いましたが、理由は照射が終わってから分かりました。照射後はとっても疲れるんです。放射線酔いの影響もあるのか少しぼーっともしました。まぁ、狭いベッドの上で1時間も身動きをとれなかったという理由もあるのかもしれませんが、終わってから暫くはぐったりしていました。


放射線を照射されている間は特に痛くもありません。ホント、ただ横になっているだけです。何かをされている感じなんて全くありません。照射中は自分で持ってきたCDを再生してもらうことが出来ました。私は平沢進のお気に入りの曲を適当に詰め込んで持って行ったのですが、放射線を浴びながら聞く平沢進雄大な曲は本当に不思議な感じでした。文字通り「生まれ変わる」ことを控えている状態と放射線の中という非日常空間、そこに加わる電波が入った平沢氏特有の音楽は普段以上に神秘的であり、電波的であり、壮大であり、表現出来ないような気持ちになりました。


ただ、機械がとにかく五月蠅い。あの分厚い扉とコンクリートの壁は放射線対策ではなく、防音対策なのではと思うぐらいです。東芝の家電といえば静かなイメージが多いだけに非常に残念です。洗濯機のCMなんかでは「世界最静音」なんて言ってるのに・・・。洗濯機は十分静になったと思うので、放射線の照射装置も静かにして欲しいところです。音楽も聴きづらいし。東芝のエロイ人は是非次世代機は静音機能も付けて下さい。


放射線は流石に堪えたようで、抗がん剤をやっているのにもかかわらず病院で正月太りという偉業をやってのけた私でも、食事を残すようになってきました。ただ、放射線が始まってすぐに吐き気が出てきて全く食事が食べられなくなる人もいるので、まだマシな方だったのかもしれません。3日目が終わっても食事は取っていましたが、それを見た先生が少し驚いてました。大体の人はこの頃になると食事がとれなくなっているのが、驚いたその理由だそうですが。若い人は元気な人が比較的多いとも言っていたので、やっぱり若さって大事なんですね。


白血球が急激に減った血液検査の結果が出たのは移植日当日。白血球が100以下と過去最低を記録しました。移植後、3日目ぐらいから高熱と激しい下痢と吐き気に見舞われるようになりました。流石に食事も取れなくなっていて栄養剤の点滴も始まりました。もうこの頃になると、放射線治療の副作用も移植によるGVHDの影響も考えられるので明確な理由は分かりませんが、こんな感じでした。


放射線治療をやってからそこそこ経ちました。髪も普通に生えてきて、今では普通に髪が普通に短い人ぐらいになりました。生殖機能が失われるほぼ間違いなくってのは聞いていたのですが、これは病院に行って調べてもらうか、実際に孕ませてみないことには分からないので実感はありません。放射線焼けで少し肌が黒くなりましたが、次第に元に戻ってきましたし、そこまで黒くはならなかったので、すっかり元に戻ってしまいました。


唯一変化の跡が残っているのが爪。抗がん剤を使うと爪の色が変になるという副作用があり、私の爪も抗がん剤の投与にあわせて黄色っぽく色が変化して縞模様みたいになっていました。しかし、現在、爪の下から3分の1ぐらいの部分に明らかに爪質が変化した部分があり、爪よってはその部分は割れているようにも見えるものもあります。多分、この跡が放射線で爪を作る細胞が死んだ跡なんでしょう。その跡の下の部分は、記憶の中にある抗がん剤を使う前の色である濃いピンク色の爪が生えてきています。


この爪の跡もいずれは無くなってしまい、外観として残るのは何もないでしょう。放射線の凄さは良いことも悪いことも日本人なら学校教育の中で自然と教わってきますが、身をもって体験するとまた違った見方ができますね。


それじゃ!